出国、到着から入国まで



4月5日早朝、羽田空港に到着しました。
4月6日早朝、検査結果を報告され、入国可能となりました。

情報が少ないという声を多くの帰国者からも聞きましたので、こちらに残しておきます。

これは羽田空港での私たち家族の経験です。個人的な感覚と感想で書いています。 

出国:

シンガポール空港は、人がまばらで、チェックイン、出国の手続き、出国検査など、とてもスムーズに行えました。
全ての空港スタッフがとても丁寧に対応しており、 JALのスタッフは特にチェックインの際も、機内でも対応が素晴らしかったです。

JALの国内線フライトのキャンセルがオンラインで不可能だったので、一応、その点を伝えると、その日本人スタッフが、記載をしておくという事でした。

因みに、航空会社は政府のコロナウイルス対策で発生してしまったキャンセル便のキャンセル費用を無料にするという発表を3月26日後、すぐにしました。
JR九州の新幹線のキャンセルには、通常のキャンセル料を支払う事となりました。
JRは、航空会社ほどの敏速な 対応が出来なかったのだと理解しますが、これは後にJRに連絡するつもりでいます。
楽天を通して予約していたホテルは、キャンセルが無料で可能でした。 


機内:

JALの機内で、3枚の厚生労働省からの説明書と、4枚の記入書類を受け取りました。
一人一枚の記入が必要でした。英語と日本語版がある書類もありました。























夜の出発便だったので、食事が一度出され、朝の分のスナックとして小さなケーキを夜のうちに渡されました。このような時だったので、食事の選択などはありませんでした。
食事についての制限は、JALの予約サイトにも記載がありました。

搭乗すると、ほとんどの席が空いており、乗客はあまりいないと感じました。


到着、そして一つ目の部屋: 

日本時間の早朝5時に到着しました。

到着後、空港の多くのスタッフに見守られ、同じ便の帰国者だけが、一つの待合室に案内されました。急がされることもなく、皆、ゆっくりと移動をしました。
移動の際にはシンガポールからの帰国者ばかりだったので、シンガポールではすでに普通になっているSocial Distance(一人ひとりの間隔を置く事)を気にしながら、移動していました。

(因みに、シンガポールのスーパーやお店ではすでに、人が並ぶところには床にテープが張られ、誰にでもお互いが距離を取る事をわかりやすく示してくれています。こうゆう所、日本も学ぶべきと感じます。

空港のすべての通路の角には最低二人の空港スタッフが居り、人の移動に気を配っていました。多くのスタッフがリストの様なファイルを持っていました。

案内された待合室の部屋は、一人ひとりの間隔が十分に取れて座れる分の椅子とスペースがありました。クッション付きの椅子で、何もかもが新しく、清潔である部屋でした。
この部屋には、車いす用トイレが標準の広いトイレ(女性用トイレには3つ)、自動販売機(スナック用一台・飲み物用2台)、公衆電話、NHKテレビ、赤ちゃん・幼児用のお世話室がありました。

周りはガラス張りで、天井も高く、飛行機が良く見える見晴らしの良い部屋でした。

ここで、一応の流れをアナウンスされましたが、担当者がマイクの使い方に慣れていないのか、よく聞き取れない事が多かったです。ただ、全ては、機内で渡された厚生労働省の書類の内容であったので、驚くべき様な事はありませんでした。この部屋には、係の方々が5名ほどいました。

まずは自宅に帰宅できる帰国者から移動が始まりました。
自宅待機可能な帰国者は、手荷物をもって一列に並ぶように伝えられ、一人ひとりまたは家族単位で、机を挟む 三名の検査官に4枚の書類を提出していました。
その後、検査を受けるところまで別の担当者に見送られ、皆、移動してゆきました。

シンガポールには多くの東京からの自宅待機可能な駐在員が残っていたのか、 ここで四分の三ほどの帰国者が部屋から居なくなりました。
その後、ホテル滞在組の書類確認がありました。

その際、ホテル滞在者は検査後、空港で検査結果が出るまで待機するように申し付けられました。
厚生労働省のサイトには、政府が用意した滞在先の記述もありましたが、そのような滞在先の話は全くありませんでした。
 
書類確認の担当者は、全ての書類に目を通し、いくつかの所に赤丸をつけ、検査のための番号シールを3か所、2枚の書類にはり、その一つ一つに手書きでカタカナで名前を記入されていました。
この作業は、とても面倒くさそうで、時間もかかりました。

大変ですねと声をかけると、若い担当者は、苦笑されていました。

部屋を出ると、狭い、廊下の一部と思われるようなところで検査がありました。
その場所の受付には水色の薄い防護服を着た自衛隊の服を着た方が、マスクの上からもわかる満点の笑顔で一人立っていました。
(なんだかその隊員の前向きな対応に、元気をもらった気がしました)
その後、多分、自衛隊員と思われる若い体格のしっかりした方々(5番まで番号あり)が水色の防護服をつけて待っており、一人ひとり検査をうけました。

検査は、番号シールの一枚を書類からはがし、氏名を口頭で述べるように言われた後、用意された椅子に座り、始まりました。
検査方法は、鼻からのどの奥まで長い綿棒を入れ、中で綿棒をぐるぐると回す方法で粘膜を採取するものでした。

私は初めてだったので、違和感から涙が出ました。
検査自体は多分数秒で終わりました。


 二つ目の部屋:

その後、また別の部屋に移動しました。この部屋はとても広く、奥まで進むとやっと担当者のような人々の姿が見えました。机の向かい側に座る担当者に四枚の書類を提出すると、一枚は戻され、この部屋でしばらく待つように言われました。
この辺りで朝6時半ごろでした。

Social Distanceを気にしながら、席を探し、場所を確保しました。

始めは3人の書類確認者だけでしたが、その後、10人ほどのスタッフが出入りし、他の便の乗客と思われる帰国者も長い列をつっくって並びはじめ、書類確認と提出をしていました。
全員が揃うまで待つように言われ、その後、再度移動する事を伝えられましたが、何時全員がそろうのかは伝えられませんでした。

この部屋はとても広い部屋で140という番号がありました。

この部屋の設備は、車いす用のトイレが標準のトイレ施設(女性用には3つ)、自動販売機(スナック用一台、飲み物用2台)でした。
この部屋の椅子は前の部屋のようにクッションがなく、プラスチックだけの堅い椅子で長く待たされるのは辛かったです。

でも、私は本帰国の引っ越しから、帰国後の問題、家族の安全対策などで、寝不足と緊張が数日続いたことから、疲れて眠ってしまっていました。
息子から起こされるとスタッフが、移動しますといい、名前を呼ばれたものが次々にグループになり移動してゆきました。

私たち親子は、最後のグループで、この部屋で結局、11時ごろまで待たされました。


三つ目の部屋:

担当者に案内され、部屋に移動しました。

次の部屋は、初めの部屋と同じ部屋で椅子にクッションがあり、横になるのに少しは楽でした。
昼過ぎの13時ごろやっと到着してからの一食目の食事が配られました。
食事は、中に佃煮昆布が入ったおにぎりと、紫蘇のおにぎり、そして唐揚げと小さな卵焼き一個ずつに柴漬け、お茶のボトルでした。おにぎりはコンビニのおにぎりの2倍くらいあるものでした。



JALの早朝の食事は小さなスポンジケーキを夜に渡された分だけだったので、多くの方々がおなかをすかしていたと思います。スナックの自動販売機を利用している方もいました。(私はマフィンやカップケーキをシンガポールから用意していたので、大丈夫でした。)

そしてそのまま、夜を迎えます。
数人の人々は運動不足を感じていたようで、部屋の中を何回も往復したり、体操をしている方もいました。私もストレッチをしたりして、長い時間椅子の上で過ごしている体の痛みを軽減する努力をしました。 

ほとんどの帰国者が、携帯やパッドなどで、WIFIを利用して時間を過ごしました。
皆、落ち着いており、電話をかけている人以外では、ほとんど話をしている人はいませんでした。 

待合室には、静かに音楽がずっと流れており、静寂過ぎない状況であった事がありがたかったです。


他の便の検査結果発表:

夜8時ごろになり、シドニーからの便の結果が出たという事で、シドニーからの帰国者が一人ひとり呼ばれて結果が伝えられました。 
係員は、陰性か陽性かの内容は、この部屋の中では伝えないで欲しいと伝えていました。
きっとパニックになることを避けたのではと思います。

それでも、一人ひとりが外の方まで連れていかれ、3人の担当者がそれについてゆき、数分後帰ってきてまた次の人が呼ばれるという、時間と手間のかかりすぎるやり方で、見ていて疑問を感じました。
その後、三名が一度に呼ばれるようになり、そのフライトの帰国者は皆、部屋から出て行きました。これで、半分くらいが部屋から居なくなりました。

その後、やっと2回目の食事がだされました。
お弁当の内容はお昼と同じでしたが、コンビニのおにぎりを選ぶなら、コストの関係で2つだけしか選べませんと言っていました。(という事は、一人一回の食事代は400円くらいなのでしょうか?)

シンガポール内での感染が少ない為か、シンガポール便の検査結果は後回しにされたと感じました。ただ、ホテル滞在者は自宅待機者よりも優先的に検査結果を出すとの事でした。 

次々に帰国者が帰ってくるので、自宅待機帰国者の検査結果がなかなか出ないもの納得できました。また、現在、感染者が多い地域の帰国者の検査を優先する事も当たり前だと思いました。その場合、病院での対応も早くでき、国内での感染の広がりを抑える事も可能だからです。

 
4回目の移動: 

そのまま、ここで朝を待つのかと思っていたところ、夜中近くにもう一つの部屋に移動するように言われ、再度移動しました。

この部屋にはブランケットを使ってすでに寝ている方がたくさんいました。ほとんどの席は使われていましたが、それでも移動した帰国者の皆が、睡眠をとるための椅子の一列を確保することは出来ました。

この部屋の施設は、先の部屋と同じでしたが、3倍くらいの広さがありました。

また、私はブランケットは数が足らないと受け取れませんでしたが、息子の一人には渡されていました。
もう一人の息子には用意してきた寝袋を使わせました。一人、3つか4つの椅子を使って、横になって寝ました。
部屋は夜中も煌々と明かりがともり、アイマスクがなければ、眠るのは難しいほどでした。


翌日:

朝の5時には、多くの方が起きており、皆さん、疲れた様子で椅子の上で朝を迎えていました。夜中にも必ず、最低一人のスタッフが部屋に待機して、帰国者の質問や必要事項に対応していました。

とにかく、空港待機中の検疫関係者の皆さんの対応はとても丁寧で、申し訳ないという思いが伝わってきました。

6時ごろになり、担当者がどんどん集まってきて、動きがありました。
その後、航空会社のグランドスタッフたちから預かり荷物の受け渡しがありました。
カートに乗せられた荷物を一人ひとり受け取りました。

 
検査結果報告:

荷物の受け取りが出来てしばらくしてから、やっと自分たちの便の検査結果が伝えられることとなりました。
まずは、帰国便ごとに並ぶように言われ、検疫所の責任者の方から一人ひとりまたは、家族ごとに結果を聞かされました。この時点で3つの便の帰国者が一緒の部屋にいる事に気づきました。

ただ、この部屋の方々は皆、陰性であったようで、一人ひとり別の場所に行かされることはありませんでした。

結果報告後は、やはり皆さん、安心した様子で、笑顔も見られました。
私も子供たちと報告を喜び、実家に公衆電話から連絡を入れ、報告をしました。

ホテル近くまで行くバスの手配の為に再度、並び、滞在先の名前と一人ひとりの名前の確認がありました。この時に別送品や宅配の必要がある場合は、伝えるほうが良いと感じました。

その後、再度、グループに分けられて、バスまでの移動が始まりました。私たち親子は、又、最後のグループでした。

ほとんどの帰国者が部屋に居なくなると、残った検疫職員たちが、ブランケットを片付けていました。(個人的には、陰性の結果が出ても、直接素手で触らない方が良いのではと思いましたが、彼らは、素手で片づけをされていました。その後、そのブランケットたちは、きちんと洗濯されてから再度配布されるのだろうか、それともあのまま あの場所に積み上げられたままなのだろうか、と一瞬、思った事でした。)

前のグループがバスの向かい、30分ほどたった後、やっと、自分たちの移動の番が来ました。

また、列に並ぶように言われ、部屋を出る前にピンクの紙を渡されました。
(別にどこで提出するとも、誰に見せなければいけないとも言われませんでした。でも、検疫の職員の方は、何故かあせりながら一人ひとりに配っていました)




部屋番号141から入国の所まで、多くの書類を抱えた検疫所の責任者の方が、一緒に移動してくださいました。141は空港内でも端の部屋で、隔離を確実にという意向が感じられました。その為、入国の場所まで、いくつもトラレベーターに乗り換え、まだ、先は長いと感じました。列を崩す帰国者は誰もおらず、皆きちんとSocial Distanceを考えながら並んで移動していました。


入国と荷物検疫:

預け荷物を受け取れなかった帰国者もいたので、荷物受け取りの場所で、しばらく待たされました。
入国の際には、他の担当者に代わり、荷物の別送品や配送を頼む必要がある帰国者は、JAL ABCで手続きをするように言われました。

この担当者は、帰国者リストも全く持たず、その上、どのように対応すればよいのか、戸惑っている様子が伺えました。

入国では、一人ひとりが預け荷物や手荷物をカートに乗せたり、持ったまま、パスポートの確認をされて、通過しました。
荷物検査では、普通の帰国と同じように口頭での確認があり、問題なく通過できました。
 

別送品と宅配の手続き: 

私たちは家族は本帰国だったので、荷物が多く、宅配の重量規定などから荷物の詰め替えなどしなければならず、時間がかかりました。

本来なら、バスに乗る全員がそろう事を待つはずだったのですが、私たちが集合の場所に戻ると、誰もいない状態でした。
どの帰国者がバスに乗ったのかもその担当者は、チェックもせずに移動し、乗せてしまったようでした。

おいて行かれたと気づいたので、空港のセキュリティーの方にその状況を伝えて、検疫の担当者を探していると、他にもおいて行かれた方がおり、「こうなると思っていた」と文句を漏らしていました。

(正直、このまま、私たちが居なくなっても、誰もわからないというような状況でした。この辺り、危機感のない空港スタッフでは、感染を防ぐことは難しいのはと感じました。)
偶然にも私たちのグループの担当していた検疫の責任者の方が、他の帰国者を案内している姿を見つけ、「置いて行かれました」と、声をかけると、すぐに申し訳なさそうに謝られ、他の帰国者と一緒に別のバスに乗れるよう手配をすると伝えられました。
空港のセキュリティーの二人が動いてくれましたが、どうすればよいのか、戸惑っているようでした。また、彼らには何もできませんでした。

 
バスでの移動:

その後、他の方の荷物預けで、30分ほど分ほど待ち、残された7人で検疫所が用意したバスに乗りました。バスは、通常の方々が乗るシャトルとは異なる場所に待機していました。

用意されたバスは、30名ほどが乗れるようなバスでした。
検疫所のものではなく、検疫所がどこかに手配したバス会社のようでした。

検疫所の責任者の方は、乗車の際に一人ひとりの名前の確認と書類へのしるしを残し、バスの中まで来てくださり、あいさつをされ、最後まで、見送ってくださいました。
責任者は、バスの運転手にも各自の滞在先をきちんと伝えて下さっていました。

バスは、どこかの道路で事故があったとの事で、遠回りをして、離れた宿泊先から先に周り、私たちはまた、最後に降りました。バスは大通りだけに止まりました。

私たちの宿泊先は大通りではなかったので、500mほど荷物と一緒に歩きました。
予約した時には徒歩で空港からと思っていたので、心は軽かったです。
桜も咲いており、天気も良く、気温も20度くらいで風も心地よい日でした。

 
滞在先到着:

滞在先には羽田空港到着後から、空港での強制待機の状況を報告し、宿泊先に当日到着しなくてもキャンセルしないで欲しいという事を伝えてありました。検査結果後も連絡し、検疫所のバスで向かう事をメールで連絡してありました。

滞在先に到着してやっとその日、初めてのきちんとした食事をしました。
空港では早朝から荷物受け取り、検査結果の報告、滞在先の確認、入国と荷物預け、バスの移動など、行わなくてはいけない事が山済みであったので、朝の食事が出なかったと気づきました。それでも自分たちは時間があった時にマフィンなどを食べていました。

部屋に落ちつたときには、午後1時を過ぎていました。









コメント

  1. 監視とかねっとりしてると思いきや、バスに乗せないなどわけのわからない嫌がらせか、ザルすぎるので途中でバックレてもわかりませんね。参考になります。

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    1. コメントありがとうございます。


      到着から関税を出るところまでは、ネームリストを持った担当者がいつも側におりました。ただ、私たちのグループは、関税を出たところから別の厚生労働省の担当者に代わり、その方が特にいい加減だったために、誰がいなくなってもわからない状況になっていたと感じました。

      ただ、厚生労働省だけでなく、空港のセキュリティーも、グラウンドの航空会社関係者も帰国者が誰であるかなど判断できない為に、感染を防ぐような対策をしておりませんでした。
      本来ならば、航空会社ー>厚生労働省ー>セキュリティーー>バス会社ー>ホテルと連係プレーができればよいのですが、そのような仕組みを考える人が誰もいないことに問題があるのだと感じました。空港で働く以上、何故、連係プレーをするのだという事を誰も考えないのでしょうか。本当に理解に苦しみます。会社を超えて、職種を超えて、支えあう時なのに、何をしているのでしょうか。

      他の方のブログに自衛隊の方々のテスト管轄からの撤退が記載されておりました。自衛隊のあの素晴らしくシステム化されていたテスト方法さえも引き継がれていなかったことを読み、日本の対応のできない大人の多さにがっかりしました。何故、命のかかった仕事をしなければいけないという状況であるにもかかわらず、学ぶことを拒むのでしょうか。ベストが目の前にあるならばその方々から学ぶのは、当たり前のことです。もっと学びの大切さを真剣に考えてほしいと感じました。自衛隊も忙しいのです。いつまでも頼るばかりではだめなのです。

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